
昨今の女性の活躍と躍進をひっそりと陰から支え続けてきた生理用品達。
女性ならばともかく、男性はどうしてもなかなか興味が湧きづらい分野ではあります。
しかし今ある生理用品の歴史を紐解いてみると、かつてはさながら群雄割拠の戦国時代。
そこには女性だけではなく、男達の生理というタブーな分野への挑戦と戦いの歴史があったのです。
というわけで今回は、男性もきっと面白いと思える、興味が持てるかも知れない生理用品戦国時代のお話。
流石にアンネナプキンぐらいはもう覚えたけど、さらに突っ込んだ歴史ってなるとさっぱりだ
女だって詳しく知ってる人は少ないでしょ。私も全然知らないし。とりあえずウィスパー(生理用ナプキン)が消えた理由だけ知りたい。好きだったのになぁあのナプキン
目次
生理用品乱世突入前の不安定だった生理用品事情
まずはちょっと昔の生理用品事情から知っておきましょう。
――生理用品に代わるものというのは、いつの時代でも当然女性がいたわけですから、古くから存在していました。
平安時代にも絹を縫い合わせたものに綿などを当てて使っていましたし、江戸時代にはお馬と呼ばれたふんどしのようなものを履き、それにナプキンのように和紙や布などを当てて使用していました。
時代は進み明治時代には女性の生理用品にも海外からの風が吹き込むようになります。
ゴム製のベルト式月経帯などが数多く発売されたものの、やはり金額が高かったり、そもそも都心部でないと買えなかったりした為に、多くの女性は依然として膣内にタンポンのように脱脂綿を詰めたり、口伝によって教わってきたふんどし状の手作りのショーツを着けていたそうです。
ゴム製はやだなぁ。想像しただけでもめっちゃ蒸れそう
初の既製品タンポン『さんぽん』の発売
にわかに女性の生理への関心も高まり、衛生面での問題点なども指摘され始めるようになった明治時代。
1938年、現在のタンポンの形状に近い『さんぽん』を最初に日本で発売したのが、合資会社桜ヶ岡研究所です。
この合資会社桜ケ丘研究所は、内藤豊次(ないとうとよじ)により新薬開発を目的に設立された会社で、現在のエーザイです。チョコラBBなどでも有名ですね。
内藤豊次元社長は、生まれながらに片目だけ瞑ることが苦手でした。
その為、20歳で東京の近衛師団に入隊するのですが、射撃訓練ができず衛生兵にさせられます。
しかしこの時衛生兵となったことで薬や治療の知識を深め、後に新薬開発の会社を興し、今でもエーザイというビッグブランドとなって存続し続けているのですから、本当に人生わからないものです。
話を戻して『さんぽん』。
画期的だったとはいえ、日本ではまだまだ風当たりが強く、また戦争の影響もあり『さんぽん』に使用されていた脱脂綿などの原料が不足。それらの影響でなかなか普及しませんでした。
第一次世界大戦とか日中戦争とか、たしかそのあたりだもんね。そりゃ脱脂綿を贅沢に使うな! みたくなりそう
生理へのイメージもまだまだ悪かった時代だしね
アメリカでは生理用ナプキンが普及していた
日本ではまだ脱脂綿を詰めていたり、ふんどしのような手作り品を使っていたり、ゴム製の月経帯を使っていた頃、アメリカではすでにキンバリー・クラーク社(日本でも有名なティッシュであるクリネックスなどはこの会社のものです)が発売した『コーテックス』というナプキンが発売されていました。
その『コーテックス』が発売されたのが1921年。
『ビクトリヤ月経帯』という国産の月経帯が発売されて以降、日本では月経帯市場が過熱して、各社様々な商品を売り出すプチ戦国時代になっていたのですが、ゴム製であったりすることから、「かゆみ・蒸れ・ただれ」などの症状が後を絶たず報告されていました。
安定せず、混沌としていた日本の生理用品市場。
そんな中で立ち上がったのが、生理用ナプキンに革命を起こしたアンネ社でした。
生理用ナプキン戦国時代へ
「40年間お待たせしました!」
というキャッチコピーと共に、1961年、颯爽と日本で誕生したのが『アンネナプキン』です。
『アンネの日記』の中に月経を「甘美な秘密」と表現した文章があり、それに着想を得て設立されたアンネ株式会社。
社長は坂井泰子さんで、当時珍しかった女性社長。
ミツミ電機(現在のミネベアミツミ)が大株主のスポンサーとなり、「トイレに流せるナプキン」として『アンネナプキン』を発売しました。
なんといっても凄いのが広告戦略で、「40年間お待たせしました!」というコピーには女性が恥ずかしがるような要素が一切なく、かつ「アメリカのコーテックスに遅れること40年、お待たせしちゃいました」という意味が込められています。
更に発売日当日まで事前告知などをあえて一切せずに、当日に一気に広告を出すというド派手な販促戦略も大ヒットに結び付いた要因だと言われています。
当時はまだ生理への理解は乏しく、相変わらず「公然と言ってよい言葉ではない」世の中でした。それは今もまだまだ同じようなものですが。
キャッチコピーに女性が恥ずかしいと思うような要素を入れない、かつ大いに興味を持たせることに成功したアンネ社の『アンネナプキン』は爆発的に売れました。
因みに、この『アンネナプキン』の登場までは日本で「ナプキン」という言葉は一般的ではありませんでした。『アンネナプキン』がナプキンの祖と言っていいと思います。
生理用ナプキンの登場は女性を精神的にも救った
それまで安定しなかった生理用品ですが、『アンネナプキン』登場以降加速度的に進化していく感があります。
漏れる心配、蒸れたりかゆくなったりする不快感、動きずらさ、などなど、多くの「ストレス」をそれまでの女性達は感じ続けていたのです。
生理用品の進化はそのようなストレスから女性を解放することでもあります。
まさに『アンネナプキン』は多くの女性達を救ったのです。
『アンネナプキン』発売日以降、生理のことを「アンネ」と呼ぶ女性も多数いたぐらいに、アンネ社の功績は大きいものでした。
しかし、悲しい事実を一つ。
今はもう、アンネ株式会社は存在していません。
生理用ナプキンのパイオニアであっても生き残れなかったのはなぜなのか?
いよいよ生理用品市場は戦国時代へと突入していきます。
生理があるってだけで億劫だもんね。生理用品もダメだとしたら、確かにストレスすごそう
どの時代もそうだろうけど、生理と女性は切り離して考えられないもんね
ナプキン市場に最強の伏兵登場
『アンネナプキン』が発売された1961年、同じ年に、高原慶一郎という男性が大成化工株式会社を設立。
当初は建設業に関係する資材を製造販売していたのですが、『アンネナプキン』の登場を見て生理用品に興味を持つようになります。
そして『アンネナプキン』発売のわずか二年後、『チャーム・ナプキン』を販売します。
ん? チャーム?
と感じた方は鋭いですね。あるいはナプキンマニアですかね。
そう、この高原慶一郎さんの設立した大成化工株式会社は、今の「ユニ・チャーム」です。
ソフィ、ムーニー、超快適マスクなどなど、誰もが使ったことのある、聞いたことのある有名な商品ブランドを多数抱えるユニ・チャームなのです。
ユニ・チャーム創始者であるこの高原慶一郎という方、堂々とアンネ社社長である坂井泰子さんに会いに行ったりもしています。
器が違うんでしょうね、こういう大物社長さんは。
タンポン市場はエーザイの独壇場
さて一旦話をタンポンに戻します。
現在のエーザイである 合資会社桜ケ丘研究所 が『さんぽん』を発売したものの原料不足や風当たりの強さで苦戦中。
さらに、多数の衛生面での不安要素が世の中でささやかれるようになり、これはイカンと厚生省がタンポンを医療用具に指定しました。
タンポンと真剣に向き合い続けていた 日本衛材株式会社(現エーザイ、 合資会社桜ケ丘研究所 から社名変更)は、初めて厚生省から承認を得ることになります。
1964年には東京オリンピックに合わせてスティック式のタンポンである『セロポン』を発売。世界へのアピールにも成功します。
1960年代、まさにタンポン市場はエーザイの独壇場でした。
パイオニアであるアンネ社の混迷
恐ろしいスピードでアンネ社のナプキンでの売り上げに追いついてくるユニ・チャーム。
ここでアンネ社は、エーザイがほぼ独占していたタンポン市場へと切り込みます。負けてられるか、といったところでしょうか。
アンネ社が『アンネタンポンo.b.』を発売したのが1968年。
同時期に、中央物産株式会社が、アメリカで売られていた『タンパックスタンポン』の輸入販売を開始。
更に1972年には十條キンバリー株式会社(現日本製紙クレシア株式会社。前述のキンバリー・クラーク社と十條製紙株式会社が合併したもの。クリネックス等を販売)も輸入販売を開始、更にユニ・チャームも『チャーム・タンポン』を発売するなど、タンポン市場も混沌としてきます。
そして1971年、ついにユニ・チャームがアンネ社の売上高を完全に追い抜きます。
そして同年、二人三脚でやってきた大株主でありスポンサーでもあったミツミ電機が、業績悪化によりアンネ社の株を本州製紙・ライオン歯磨・東レに売却します。
まだアンネ社がなくなってしまったわけではありませんが、風前の灯。
社長である坂井泰子さんはお金儲けにはそんなに執着がなかったという話もあります。
多くの女性を生理の煩わしさから解放する大きなきっかけを作った女性社長。
もしかしたら、このように生理用品市場が活気に溢れ、どんどんと進歩し続けることこそ坂井社長の思い描いていた「成功」であり「目的」だったのではないか、とも思えます。
だとしたら、かっこよすぎます。
先駆けても、そのまま突っ走れるわけじゃないんだね
継続してヒット商品を出し続けなきゃいけないから、商売って難しい
それでもアンネが起こした革命は多くの女性を変えたからね。物理的にだけでなく精神的にも
生理用ナプキンに変革をもたらした花王
アンネ社の売上を軽やかに抜き去ったユニ・チャームでしたが、当然それで安泰、なんていう甘い世界ではありません。
しかも取り扱っている商品が生理用品ですから、改良の余地は常に多く残されていたはずです。
大きな変革を起こしたのが、花王です。
1978年、花王が生理用品市場に参入。
何が変革だったかと言うと、現在の生理用ナプキンの主流である高吸収性分子を使った初めてのナプキンを花王が出してきたのです。
それが、今でも存続している『ロリエ』シリーズ。
高吸収性分子の特徴は、自重の数百倍から約千倍までの水を吸収、保持できるというもので、生理用ナプキンの薄型化と漏れの心配を更に減らす事に一役買ったのです。
以降、現在に至るまで、多くの生理用品は高吸収性分子を含んだものとなりました。
皮肉なことですが、「水に流せる生理用品」をコンセプトに掲げて立ち上がったアンネ社の『アンネナプキン』とは正反対の、水に流せないナプキンが今は主流になってしまったのですね。
現在もオーガニックを謳うナプキンがありますが、どうしても吸収量などでは高吸収分子に軍配が上がってしまうようで、原点回帰にはまだまだ研究開発と時間が必要なようです。
アンネの終日
アンネ社はその後、1980年にはライオンの子会社となっていました。
そして1993年、ついにライオンに吸収合併され、アンネ社はなくなりました。
しかしアンネ社の名残は、今も残されています。
ライオンの子会社となっていた時代に作られた『エルディ・タンポン』は、さらにライオンからユニ・チャームへと譲渡され、現在もユニ・チャームから販売されています。
フィンガータイプ(挿入時のアプリケーターがないタイプ)としては恐らく国内で最も支持されているタンポンです。未だ息づくアンネ社の鼓動!
アンネなき後、帝王ユニ・チャーム猛進
アンネ社がライオンに吸収合併されてからも、多くの会社が生理用ナプキン市場には乗り込んできました。
1982年には、若年層にターゲットを絞り売上を伸ばした大王製紙株式会社の『エリス』が。『エリス』は今も存続していますね。
さらに、この記事冒頭で月子ちゃんがぼやいていた『ウィスパー』が、それまでおむつ業界でトップだった外資系王手プロクター・アンド・ギャンブル社から1986年に発売されます。
あ、それだとわからないですね。P&Gのことです。スッキリ。
僕の妻も『ウィスパー』が結構好きだったみたいなんですが、2018年3月で生産終了してしまったようです。(生産終了時、売上はユニチャームよりも下回っており、シンプルに手を引いた形かと思われます。尚ウィスパー自体は海外では売っているようです。Amazonなどで出ている物はほとんどが在庫の残っているだけのものなので無駄に高かったりもしますので買う際はご注意ください)
あとは資生堂なんかも、エフティ資生堂という名前の子会社が『センターイン』を販売していました。
今も売っている?
そう、これも帝王ユニ・チャームが全権利を譲渡されて、今も販売しています。
恐るべしユニ・チャーム!
建材を売っていた会社が生理用ナプキンを作り始めあっと言う間にアンネを抜き去り、そして紆余曲折を経て今は頂点へ。
ユニ・チャーム、すごいです。
そして現在。
生理用品の売上では圧倒的な力でユニ・チャームがトップ。
なんとアジアでも一位の売上。さらに世界でも第三位という、海外でも強いユニ・チャーム。ユニバーサルの意味も含んでいる「ユニ」の名は伊達じゃないですね。
さて、そういえばタンポン市場はどうなっているのでしょうか?
これも、戦慄する結果となっています。
アメリカでのメジャータンポン『タンパックス』は、2001年に日本から撤退。
独壇場だったエーザイも、なんと2003年にタンポンの製造を終了し、アンネを合併吸収したライオンはタンポン事業をユニ・チャームへと譲渡しました。
結果、タンポン市場もユニ・チャームがトップに君臨することに。
今現在も、多くの女性をユニ・チャームが救っている、と言っても過言ではないでしょう。
畏怖と敬意の念を込めて、最後にユニ・チャームのCM集をご覧くださいませ。
ユニ・チャームかぁ。社名とかって普段意識しないけど、意識しながら買い物したら面白そうだね
良いものであればなんでもいい、っていうのが普通の感覚だもんね。私もどこの会社の商品なのか、ちょっと考えながら見てみようかな。ユニチャームのめっちゃ使ってるっぽいし
まとめ
いかがでしたでしょうか?
アンネ社の『アンネナプキン』から始まり、ユニ・チャームで決着した生理用品戦国時代の巻。
実際の戦国時代に例えるならば、アンネ社が時代の先を見据えて改革を断行した織田信長、エーザイが違う角度での地固めを怠らず本能寺の変まで起こした明智光秀、そしてユニ・チャームは虎視眈々と準備を怠らず最後には光秀を打ち取りトップへと上り詰めた豊臣秀吉といったところでしょうか。
最先端のテクノロジーがどんどん新しい風を吹き込み続けている現代、この先の未来にどんな生理用品が登場するのか、サービスが出てくるのか、想像できませんよね。
今こうしている間にも、ユニ・チャームはもちろん、多くの企業が新たな研究と開発を行っていることでしょう。
とりあえず僕は、アンネ社と『アンネナプキン』が目指した未来、それが実現される事を陰ながら祈りたいと思っています。
以上お読みいただきありがとうございました。
※大いに参考にさせて頂いた資料として『生理用品の社会史』を載せておきますので、興味をもった方はぜひ読んでみてください。特にアンネ社の章はドラマチックで読み物としても最高に面白いです。